過去の上演作品[2011-]
過去の上演作品[2011-]
Tattahitori no Senso
たった一人の戦争
作・演出○坂手洋二
<東 京> 2011年11月18日(金)〜28日(月) 座・高円寺1
<名古屋> 2011年11月30日(水) 名古屋市芸術創造センター
<伊 丹> 2011年12月3日(土)〜6日(火) AI・HALL
<岡 山> 2011年12月9日(金) 岡山市立市民文化ホール
11/11/18
誰も立ち入ることのできないあの場所に、行ってみませんか。
たった一人で歩いていたら、歌を歌いたくなった
たった一人で歩いていたら、子供の頃の歩き方になった
たった一人で歩いていたら、帰り道がわからなくなった
たった一人で歩いていたら、地球を救うのは自分だと気づいた
今この世界で、信じられない危機を知りながら、
他の誰も動き出さないとしたら。
あなたしかそれをやろうとする人間がいないとしたら。
「いずれ誰も立ち入ることのできなくなる場所」と聞いた時、
今、人々は何を、どの場所を、想像するでしょうか。
「いずれ誰も立ち入ることのできなくなる場所」が
「もう誰も立ち入ることのできない場所」になるとき、
人々はどのように感じ、どのように交流し、どのように生き、別れたか。
今の日本が「放射性廃棄物」をどう処理するかという
大きなテーマに向かう、野心的な最新作です。
<CAST>
ハセガワ ────── 大西孝洋
モリナガ ────── 洪明花
ヒデコ ─────── 中山マリ
ヒガシオ/係員1 ── 橋本浩明
ゼンジロウ ───── 川中健次郎
フミエ ─────── 西山水木
ユウ ──────── 円城寺あや
エミコ ─────── 小山萌子
彼 ───────── 猪熊恒和
ミヤタ/係員8 ─── 鈴木陽介
キタカミ ────── 杉山英
ナナコ/係員6 ─── 安仁屋美峰
カジモト/父 ──── 鴨川てんし
チェル/母/係員2 ─ 松岡洋子
ロッカ/兄/係員3 ─ 西川大輔
セタ/姉/係員4 ────── 樋尾麻衣子
タマ/弟/係員5 ────── 武山尚史
司会者/白衣の女/係員7 ── 横山展子
フクダ/係員9 ─────── 福田陽子
エレベーターガール/係員10 ── 加藤道子
係員 ──────── 桐畑理佳・山崎蝶子
<STAFF>
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
音響操作○齋藤貴博(ステージオフィス)
舞台監督○高橋淳一
美術○じょん万次郎
衣裳○宮本宣子
演出助手○城田美樹
作曲○吉良知彦
歌唱指導・音楽協力○小峰公子
文芸助手○清水弥生 久保志乃ぶ
宣伝意匠○高崎勝也
協力○浅井企画 プリエール エンパシィ ユニークポイント 宝井プロジェクト
阿部美千代(株式会社MIHYプロデュース) 高津映画装飾株式会社 菅原有紗 合地春菜 荒井優 須山扶美子
制作○古元道広 近藤順子
Company Staff○根兵さやか 向井孝成 宮島千栄 田中結佳 内海常葉 秋葉ヨリエ
■当日配布パンフレットより■
ごあいさつとお願い
坂手洋二
この公演では、お客様は、開演時刻からほぼ十分間、客席にお座りいただかずに、御覧いただくことになります。「高レベル核廃棄物の最終処分場」について研究する場所とされている「超深地層研究所」見学を、疑似体験していただくためです。
その十分ほどが過ぎれば、あらかじめ指定されたお席にご案内することができます。既に劇が進行しておりますので、係員の指示に従い、速やかにご着席いただけますと幸いです。なにとぞご協力よろしく御願いいたします。
さて、日本で現在進んでいる「超深地層研究所」計画では、最終的に地下1000mまで掘ることになるそうです。現存する見学コースでは、深さ500mの途中まで、十人乗りの工事用エレベーターで降り、試験的に掘られた横穴に入ることができます。
そこは蛍光灯に照らされた無機的な灰色の世界です。同じ目的の施設なので当然なのですが、フィンランド映画『100,000年後の安全』に登場する「オンカロ(隠れ場所、の意味)」を想起させる、静謐な回廊があります。縦穴の足下の隙間からは、更に200m下の光景を覗くことができます。高所恐怖症の方にも閉所恐怖症の方にもお薦めできません。
日本では高レベル放射性廃棄物をガラス固化体にして、金属性容器や粘土で固めたものを4万個収納できる、このような「深地層処分場」が必要とされています。廃棄物は増え続ける一方ですから、2030年代から収め始めなければ、間に合わないということです。
一本のガラス固化体に広島型原爆約三十個分の死の灰が入っているといいます。この廃棄物は高温を発するので、一定の温度に下げるのにさえ、数十年を要します。そして十万年後にやっと、ウラン鉱石なみの放射線量になります。
現存するこの研究所は公有地で、20年間の予定で借りられており、研究終了後は埋め戻して返されることになっています。けれど、もしも国からの「交付金」に目が眩んで、地元自治体が希望した場合は、研究施設の「跡地利用」が検討されることになります。その時は「研究所」だった場所がホンモノの「最終処分場」になるのです。そして現在、それ以外の処分場候補地が検討されている様子はありません。
現在の該当地は、削岩機で岩に穴を開け、地層調査を行いながら、ダイナマイトで岩を砕き堀り続ける作業を繰り返しています。岩盤の隙間が多く地下水が溢れるように流れ、排水に苦労している場所です。どうすれば水が消えるのか見当もつきませんが、「核のゴミ」を入れた容器が腐食して中身が漏れれば、汚染水が地上に出てくることは必至ですし、大地震があれば、ひとたまりもないでしょう。
私は見学体験を通して、そこに私たち自身の未来の不安定さ・不明瞭さそのものを見た気がします。
そして、「たまたまウランが掘り出されてしまった」ために、冗談のようですが、一種の「放射能繋がり」で、「研究所」用地とされてしまったその場所に、深く同情します。私の本籍地である「岡山県苫田郡鏡野町」に存在する日本最古のウラン産地「人形峠」の採掘と残土処理の歴史についても、想起させられました。
私の周囲には、「3.11以降、切実な題材を見出しえない、夢中になれるものがない」「原発事故の悲惨、苦しむ人々が大勢いる現実の中で、芸術や表現は無力だ」という人たちがいます。むしろ被災地以外の方に多いのです。個々の感受性を云々するつもりはありませんが、被災地で直接的なダメージを受けつつ、気を取り直し意識転換している方々も、少なくありません。もちろんほんとうに打ちのめされている人たちだっているでしょう。しかし「思考停止して当然」という印象を既成事実のように前提化してしまえば、「戦争は止められなかった、芸術や表現は無力だった、そういう時代だった」と過去を述懐する人たちと、同列になってしまうような気がします。
少なくとも目の前には相変わらず、放射能汚染のこと以外にも、向き合うべき課題は多いと思います。できることから始め、諦めずに続けてゆくしかありません。
ご来場に感謝します。