過去の上演作品[2011-]
過去の上演作品[2011-]
Hoshi no Musuko
星の息子
作・演出○坂手洋二
<東 京> 2012年11月16日(金)~28日(水) 座・高円寺1
<名古屋> 2012年12月15日(土)・16日(日) 愛知県芸術劇場小ホール
<岡 山> 2012年12月18日(火) 岡山市立市民文化ホール
<伊 丹> 2012年12月20日(木)~22(土) AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)
12/11/16
「人は死んだら星になる」って言ったのは、誰だっけ ……。
やんばるの空を飛んでいいのは、鳥と虫と、自由だけ。
『天皇と接吻』『沖縄ミルクプラントの最后』につづく、「戦後史」と「今」の集大成。
<CAST>
渡辺美佐子 円城寺あや 中山マリ 鴨川てんし 川中健次郎 猪熊恒和 大西孝洋 水津聡 杉山英之
松岡洋子 樋尾麻衣子 鈴木陽介 横山展子 桐畑理佳 田中結佳 福田陽子 宗像祥子 永井里左子
(声の出演) 宮島千栄 武山尚史 小林尭志
<STAFF>
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
舞台監督○金安凌平
美術○じょん万次郎
衣裳○大野典子
演出助手○城田美樹
文芸助手○清水弥生 久保志乃ぶ
沖縄方言指導○沖直未
宣伝意匠○高崎勝也
協力○高津映画装飾株式会社 岩渕ぐるうぷ 浅井企画 荒井優 小林千紘 菅原有紗
宮島久美
制作○古元道広 近藤順子
Company Staff○西川大輔 武山尚史 根兵さやか 橋本浩明 内海常葉 秋葉ヨリエ
[東 京] 託児協力○(特)子ども文化NPO M・A・T
後援○杉並区
提携○NPO 法人劇場創造ネットワーク/座・高円寺
[名古屋]制作協力○加藤智宏(office Perky pat) 西杢比野茉実(少年王者舘) 七ツ寺共同スタジオ
後援○あいち燐光群を観る会
[岡 山] 共催○NPO法人アートファーム
後援○ 岡山県 岡山市 山陽新聞社 朝日新聞岡山総局 読売新聞岡山支局 毎日新聞岡山支局
RSK山陽放送 OHK岡山放送
[伊 丹] 共催○
■当日配布パンフレットより■
ごあいさつ
坂手洋二
久しく日本の政治はアメリカの「圧力」を額面通りに見て、前提の条件とすることが続いている。他に基準を持ちえないから、政策方針さえ、かの国に依存しているのだ。ただ、以前は「敗戦」以前からの繋がりで歴史を見ていたから、少なくとも「日本」と「アメリカ」が真の意味で別の国であるという前提は、持ち得た。今は「国家」というものが見えなくなっているから、ずぶずぶなのである。そのくせ子どもが大人の振りをするように表層的に「国家」たらんとしている。いかにも「国家」らしい体裁を整えるには一人前のように強がってみせるしかないとコワモテを押し出し、誤った歴史認識、無知無神経な外交、教育や表現の自由を奪う蛮行、ほんとうに恥ずべき蒙昧に浸っている。こんな時代に生まれ、これからを担う若者たちに、本当に申し訳ないと思う。私にできることは、少しでも、いま目の前に映るものだけを根拠に「現在」を見てはいけないという思索のあり方、その視座と可能性を届けることだと思っている。
1972年、沖縄は日本に「返還」されたわけだが、四十年の時を経て、「日本は帰るべき祖国ではなかった」という実感は深いと思う。私は沖縄を「代弁」する立場にはいないが、いっぽうで沖縄もずいぶん「ヤマト化」してきたという現実も否定できないだろう。沖縄から感じ取り学ぶことはこれまで以上に多いが、沖縄のアイデンティティもまた、大きく揺らいでいる。
義母の又いとこに当たるKさんは、ベトナム戦争の時代も含めた長い期間を米軍普天間基地等で働いており、『普天間』の取材時にはお世話になり、また、彼は全駐労の幹部でもあったので、『沖縄ミルクプラントの最后』執筆にあたっても、証言者への仲介はもちろん、貴重な過去の資料も提供していただいた。最近、琉球朝日放送制作の、ベトナム戦争時に米軍が武器として使用した枯葉剤の沖縄での被害を描くドキュメンタリーで、Kさんは「枯葉剤を除草剤として扱わされた」経験をインタビューで語っており、枯葉剤というものがとても近くにあるという不思議な実感が襲ってきた。沖縄やんばる・高江、ヘリパッド建設阻止の現場近くで、かつてのベトナム戦時の枯葉剤の影響により(そこはジャングルに模した米軍訓練場の一角だった)、豊かな森の中にありながら草木がまったく育たず、赤土を露出させた空地を見ていたということもある。
その森の中の場所で、硬質な反復を繰り返すオオシマゼミの声を聴きながら、幻想を越えた「超現実」の感覚に誘われる中、「現在」を、今までとは違う視座で見なければならないという確信が、あらためて生まれてきた。私たちが語るべきことは、けっして「過去形」ではないのである。
井上ひさしさんの「幻の次回作」は、終戦直後の沖縄を舞台にした『木の上の軍隊』だったという。ガジュマルの樹の上に二人の兵士が登ったまま降りてこないという設定だと聞いた。私もこれまで劇中でガジュマルの樹の上に多くの人を登らせてきたが、今の沖縄を見るとき、キジムナーも棲みそうなガジュマルの自然の力、神秘に抱擁されるのではなく、殺伐としているかもしれない鉄骨のやぐらの塔の上にいる、二人の女が幻視されてきた。これは振り出しに過ぎない。そして、もちろん描くのは沖縄のことだけではない。機は熟した。これは、「書きたい劇」であると同時に、「書かなければならない劇」である。 坂手洋二
沖縄・やんばる地方では、オスプレイも飛来する米軍ヘリパッド基地建設や自然破壊に反対して、住民たちが座り込みの抗議活動をしています。いわゆる「活動家」はおらず、みんな生活者です。応援している人達もそうです。反対運動の住民たちが建てたやぐらに、女性たちが立てこもって、工事車両の搬入を身をもって遮っています。
そのうちの一人、夜空とやんばるの森の樹々に囲まれ、空中に浮かぶような場所から星を見上げる女、佐和子。彼女は今年初めて沖縄に来ました。彼女は回想します。自分はどうして孤独な人生を送るようになったか。四十年前の「沖縄復帰闘争」の時代、誰と出会い、何を喪ったか。そして長い間、過去に縛られ、自分に対して禁じていた想念を、解き放ちます。それは、彼女自身の人生を取り戻す旅の始まりでした。