過去の上演作品[2006-2010]
過去の上演作品[2006-2010]
Check point Sunspot Island
チェックポイント黒点島
作・演出○坂手洋二
<東京>2006年11月4日(土)〜12月3日(日) 下北沢ザ・スズナリ[ザ・スズナリ開場25周年記念公演]
<名古屋>2006年12月6日(水)〜10日(日) 名古屋市西文化小劇場[西文化小劇場 企画公演]
<浜松>2006年12月11日(月)浜松市福祉交流センター
<大阪>2006年12月13日(水)〜19日(火) 精華小劇場[精華演劇祭Vol.5参加]
<福岡>2006年12月21日(木)〜22日(金)イムズホール[イムズパフォーミングアーツシリーズ06 vol.9]
06/11/04
あなたは越えられる?この検問所を。
選ぶ勇気がある?
国境線を引き直すか、あなた自身を生き直すか。
小劇場。現代劇。新作。この国で。この秋にこそ。
<キャスト>
竹下景子 ……… ヒロコ
渡辺美佐子 …… 語り手/シズエ/チャーリー/ばばちゃん
大西孝洋 ……… 男/クニオ
川中健次郎 …… タドコロ/タチバナ/中年男
猪熊恒和 ……… ツヨシ/大学職員
中山マリ ……… ミドリ/中年女/ルーシー
鴨川てんし …… アンザイ/ジャンパーの男/父
江口恵美 ……… 学生/黄色い女/黒い女
内海常葉 ……… タナカ/学生/若者A/言わ猿
小金井篤 ……… キノシタ/学生/若者B/聞か猿
久保島隆 ……… その若者/青年/店主/見猿
裴優宇 ………… ワタナベ/帽子の男/別な青年
樋尾麻衣子 …… ハヤシダ/アキ
高地寛 ………… コンドウ/小猿
安仁屋美峰 …… ジュン/店員
伊勢谷能宣 …… ヒカル
嚴樫佑介 ……… 学生/息子
阿諏訪麻子 …… 学生/娘
樋口史 ………… 学生
桐畑理佳 ……… 学生
<スタッフ>
作・演出○坂手洋二
美術○二村周作
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
音響操作○勝見友理
衣裳○大野典子
舞台監督○大津留千博
演出助手○城田美樹
進行助手○清水弥生・坂田恵
衣裳助手○田近裕美
美術助手○深沢くみこ・馬本薫美
イラスト○石坂啓
宣伝写真○加藤孝
宣伝意匠○高崎勝也
協力○(株)アイ・バーグマン 岩渕ぐるうぷ桃園会 オサフネ製作所 C-COM
高津映画装飾株式会社 東京衣裳 マイド 峰屋 岡野彰子 岡本有紀 加藤真砂美
川端恵美子 小林優 酒井淳美 園田佳奈 田中星乃 福永純子 増永紋美 召田実子
宮島久美 八代名菜子 矢野志保
制作○古元道広・近藤順子・小池陽子
Company Staff○江口敦子・向井孝成・杉山英之・宮島千栄・吉田智久・久保志乃ぶ
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ザ・スズナリ開場25周年記念展『ザ・スズナリと燐光群の歩み』
(公演期間中ロビーにて)
アフタートーク
【東京】11月
7日(火) 赤堀雅秋(劇作家・演出家 THE SHAMPOO HAT)・市川絵美(ザ・スズナリ)
13日(月)はせひろいち(劇作家・演出家 劇団ジャブジャブサーキット代表)・野田治彦(ザ・スズナリ)
14日(火)流山児祥(演出家・劇作家・俳優 流山児★事務所代表)・本多一夫(本多グループ代表)
16日(木)金守珍(演出家 新宿梁山泊代表)
【大阪】12月
14日(木) 鈴江俊郎(劇作家・演出家・俳優 劇団八時半主宰)
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【名古屋公演】
主催○財団法人名古屋市文化振興事業団 燐光群を観る会
協力○七ツ寺共同スタジオ
【浜松公演】
主催○You創企画
後援○財団法人浜松市文化振興財団 浜松百撰 中日新聞東海本社
協力○小劇場を招く会 フリーランサー
【大阪公演】
主催○精華小劇場活用実行委員会 精華演劇祭実行委員会
助成○財団法人地域創造
【福岡公演】
主催○ピクニック
共催○イムズ FBS福岡放送
主催・企画製作○燐光群/(有)グッドフェローズ
■当日配布パンフレットより
ご来場ありがとうございます。
坂手洋二
この劇には、「チェックポイント」、つまり、境界線に立つ検問所が登場する。
九十年代前半、『神々の国の首都』ツアーで初めて東欧圏に足を運んだ。陸路でチェックポイントを越えた体験は印象深い。ベルリンの壁崩壊の前ぶれとなっ た「ピクニック越境」で有名なハンガリー国境。マケドニア・ブルガリア間の検問で、丸一日待たされたこともある。
東側の価値観が崩れてゆく時期、我々が上演したスロバキアの劇場はスタッフがほとんど解雇されていて、到着直後、途方に暮れた体験もある。アメリカ的消 費文化にまつわる要素が雪崩れ込む以前の東側の街には、強く主張しなくても滲み出す独特の「色」があった。
境界線の向こうには、似ているけれどもどこか違う、別な世界があった。
どこか別な世界にもう一人の自分がいて、全く違う人生を生きているという想像力がある。
インドネシアとの合作『南洋くじら部隊』で、かの国と日本の人々を合わせ鏡に描いたときのキーワードは、「海の向こうには、もう一人の自分がいる」で あった。他の作品でも、同様の方法論をとることがあった。
村上春樹氏の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も、似た発想によって成り立っている。小説の舞台になっている二つの世界を擁した街は、 明らかに二十年以上前のベルリンがモデルになっている。
私もかねてから「ベルリンの壁」に関わる芝居を作ろうと思っていた。長い間置いていた宿題にようやく手をつけたという気持ちである。
日本国内に「国境」はない。駐留米軍基地のゲートがそれに近いものを想像させるくらいだ。見えない「国境」を意識させる場所として は、対馬がある。七月上旬、初めて対馬に行った。
対馬は一昨年、六町が集まって「市」になった。長崎県だということを私は最近まで知らなかった。対馬市民じたいが福岡県に移ろうと「転県運動」が為され た時期もあったらしい。
対馬は日本の中で朝鮮半島に最も近い。北端からは肉眼で見える。長いあいだ大陸からの文化流入の窓口だった。当然日韓交流は盛んだ。しかし最近、マスコ ミ等で、対馬に於ける韓国人観光客の行動を揶揄して、韓国批判の風聞を作ろうとする勢力がある。
韓国では、島根県が「竹島の日」を制定したことに対抗するかのように「対馬島回復論」が高まっている。大学教授が対馬が韓国領であったという「歴史的根 拠」を開陳したり、百年後に対馬島全域に韓国国花であるムクゲの花を咲かせるという「運動」もある。韓国漁船による漁業被害は現実のようで、しかし日本政 府が厳しく対応しているわけではない。離島ゆえに補助金行政への依存度の高い島民にとっては、韓国からの観光収入も重要である。
沖縄とはまた違う「島」の空気。だが、日本という国じたいの矛盾がその場所からほころびだして見えるという点では、共通しているように感じた。
島を南北に結ぶ国道382号は道幅がせまく、急カーブ、坂が多い。到着した翌日、台風三号にぶつかった。道は冠水し、クルマも走れない場所が出てきた。 もう少しで身動きできなくなるところだった。
九州まで空路三十分の近さだが、霧が強いと欠航となる。船で帰るしかなかった。
私は空路には、ツキのない人間である。出雲から帰ろうとして飛行機が飛ばず電車を乗り継いで帰ったことが二回。北九州行きもしょっちゅう天候のため博多 に着陸となる。東北でもそんなことがあった。マイアミではフランシス台風の直撃を受け、十六時間かけて陸路アトランタに移動させられる羽目になった。やっ と辿り着いたサンフランシスコの空港では爆弾騒ぎで、さらに一日待たされた。
五年前、ニューヨーク貿易センタービルの出来事以来、世界は空にも境界線を強く意識するようになった。空港でのチェックの厳しさは、たんに危機を想像さ せるということ以上に、私たちにむなしさとさみしさを味あわさせる。
そうした現実に圧されることなく、チェックポイントというものを、ネガティブではないイメージで捉えることはできないだろうかと思っている。
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チェックポイント・チャーリー
新野守広
ドキュメンタリー映画『ルート181』(クレイフィ/シヴァン共同監督)には、パレスチナの自爆テロから国民を守るという名目で建設 されているイスラエルの分離壁が何度も映し出される。パレスチナの人々の生活を分断する巨大なコンクリート壁は、かつてのベルリンの壁とそっくりの威圧的 な外観だ。
1989年11月9日深夜のベルリンでの出来事を思い出す。チェックポイント・チャーリーの西側ゲート出口には、すでに黒山の人だかりが出来ていた。 ゲートから東ベルリンの住民が次々に姿を現し、そのうわさを聞きつけて西ベルリンの住民も続々と集まっていたのだ。東側から西ベルリンに足を踏み入れるな り、感極まって泣き出す老婦人がいた。高らかなVサインとともに東独の身分証明書を手に掲げ、意気揚々と歩き出す若いアベックの姿が見えた。西の人々は東 の人々を拍手と歓声で迎えた。誰もが予想しなかった事態だ。もちろん挨拶も歌も踊りも宴会もない。東の人々を迎える西の住民の歓呼の声だけが、夜の街に響 いていた。
喜びと不安を抱えた人々が国境を越えて出会った貴重な瞬間。東西を分ける境界の向こう側とこちら側の人々が入り混じった奇跡的な光景。それは一種の真空 状態だったのかもしれない冷戦後の世界はひとつの平和な世界になるという希望が、この一瞬、確かに人々の心を満たした。近い将来世界が9.11を体験する などと、誰が想像できただろう。
東西の対立が永遠に続くと思われていた冷戦が終わった後、世界中のいたるところで紛争が起こり、国境をめぐり緊張が高まった。アメリ カの一人勝ちと言われる政治経済状況が生まれ、誰もが先の見えない不安を感じる毎日が続いている。めまぐるしい変化に追われるなかで、私たちは異なる意見 を持つ人々への寛容を失い、日常生活と世界の構造変化を結び合わせる大胆な想像力を放棄してはいないだろうか。
燐光群の舞台はつねに社会の矛盾を指し示してきた。不安の影に怯えて内向きになり、沈黙しがちな私たちの心を勇気づける数少ない集団のひとつだ。粘り強 く演じられてきたその舞台には、社会の激動を演劇という虚構を通して見据えようとする力がみなぎっている。映画製作を軸に敗戦直後と現在とを重ね合わせた 『天皇と接吻』、学園紛争で傷ついた人々の姿を過去の時間と交差させて描いた『最後の一人まで全体である』、地雷をテーマにイラク、日本、ニューヨーク各 地をアイロニカルに繋いだ『だるまさんがころんだ』など、日常の時空間を幾重にも折り返す作風は、境界の向こう側を見ようと試みる想像力の価値と魅力を力 強く訴えてきた。
ときに強引とすら思えるほどの腕力に惹かれて集まってくる観客に、今回はどんな舞台を見せてくれるのだろうか。
新野守広(にいのもりひろ)
「シアターアーツ」誌編集代表
国際演劇評論家協会会員。著書:『演劇都市ベルリン』(れんが書房新社)。訳書:マイエンブルク著『火の顔』、ポレシュ著『餌食としての都市』、タボーリ 著『ゴルトベルク変奏曲』(以上論創社)、レーマン著『ポストドラマ演劇』(共訳 同学社)、『ヴィム・ヴェンダース』(共訳 平凡社)など。立教大学教授。