過去の上演作品[2001-2005]

トップページへshapeimage_2_link_0
 

DA-RU-MA-SA-N-GA-KO-RO-N-DA [2004] 

 

RIN KO GUN Summer Festival in The SUZUNARI

だるまさんがころんだ

作・演出坂手洋二


<東京>2004年7月17日(木)~ 8月4日(水) 下北沢ザ・スズナリ

<岡谷>8月7日(土)・8日(日) カノラホール [演劇大学 in 岡谷]
<伊丹>8月12日(木)~15日(日) AI・HALL [共催公演]
<名古屋>8月18日(日)・19日(月) 天白文化小劇場 [共催公演] 
<浜松>8月21日(水) Uホール(浜松市勤労会館)
<足利>8月27日(火) 足利市民プラザ
 [足利市民プラザ演劇祭2004]
<仙台>8月31日(土) 仙台市青年文化センター [劇都仙台2004]

04/07/17

CAST>

中山マリ ………… 母 トッケイの女
川中健次郎 ……… 組長 村長 クリントン 役人
猪熊恒和 ………… ヒラオカ
下総源太朗 ……… 記者 アロハの男 警察官2 商人2 ディマイナー2
大西孝洋 ………… タカ
鴨川てんし ……… 父 男
江口敦子 ………… 妹 縄の女
宮島千栄 ………… 女
Kameron Steele … ジョン テレビ局員 警察官1 商人1 ディマイナー1
Ivana Catanese … 空港の女 ボディーガード 家族4 女役人
樋尾麻衣子 ……… 姐さん 少女 タップダンサー
宇賀神範子 ……… 子分 女性記者 カップルの女 家族2
内海常葉 ………… 子分 会社の人 ローラーブレードの若者 家族1 犬
向井孝成 ………… 子分1 空港職員 弟 兵士
瀧口修央 ………… ハセガワ 浮浪者
工藤清美 ………… 姉 家族3
 優宇 …………… 子分 兄 カップルの男
桐畑理佳 ………… 子分 タップダンサー
久保島隆 ………… 若頭 曹長 若者
杉山英之 ………… 子分3 空港職員 若者頭
小金井篤 ………… 子分2 兵士 キノシタ 見張り 影の若者
亀ヶ谷美也子 …… 子分 少年 子供
塚田菜津子 ……… 幼女



STAFF>

照明=竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響=島猛(ステージオフィス)
音響操作=鈴木三枝子(ステージオフィス)
舞台監督=海老澤栄
美術=じょん万次郎
衣裳=大野典子
演出助手=吉田智久・鈴木章友
文芸助手=圓岡めぐみ・清水弥生・久保志乃ぶ
翻訳(「セントラルパークの地雷」)=志磨真実
翻訳協力=JOHN OGLEVEE
宣伝意匠=高崎勝也
美術協力=加藤ちか
舞台写真=大原拓
制作=古元道広・国光千世
協力=高津映画装飾 現代座会館 社会批評社 林高士
   安達由高 山松由美子 丸岡祥宏 岡野彰子 小池陽子 佐藤泰紀 城間優子 

           園田佳奈 田中星乃 寺島友理子 仲川百合子 増永紋美 宮島久美 八代名菜子

   吉村敦子


平成16年度文化庁芸術団体重点支援事業




当日配布パンフレットより


ご来場ありがとうございます


 私が「地雷についての劇」について考えたはじめたのは、自発的な動機からではなかった。
 日本・オーストラリア両国の劇作家協会どうしの交流から、斎藤憐氏、ジョン・ロメリル氏の間で、アジア各国の演劇人がそれぞれの独自性を失わずにコラボレーションを行う可能性が討議された。そして、共通テーマとして選ばれたのが「地雷」だったのである。
 その共同プロジェクトは、タイ、ベトナム、カンボジア、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、日本から参加する劇作家たちがそれぞれの視点から「地雷」について創作したセグメントをひとつのフレームワークの中で構成し、1本の舞台作品として各国の観客に提示しようという試みである。国際交流基金の支援をいただいている。
 2001年7月にシンガポールで行われた構成会議に参加した私は、その合宿の最中に、「じらいくじら」というモノローグ詩劇と、今回の劇中にも登場する幕間狂言「セントラルパークの地雷」を書き、提出した。その後の企画計画で、キュレーターのジョン・ロメリル氏は「じらいくじら」をこのプロジェクトのエピローグに利用しようという提案をしてくださった。実現すればたいへん嬉しいことである。だが同時に、いったん手を放れてしまったこのテーマについて、私がまだしっかりと踏み込めていないということに、プレッシャーのようなものを感じ始めた。
 その秋、「セントラルパークの地雷」はニューヨークの情報誌に発表される予定だったが、見合わせることにした。ちょうどこの短編を書いた二ヶ月後に、世界貿易センターに対する攻撃が行われたからである。
 合宿以来ずっと念頭にあった、地雷敷設地帯に育った双子の兄弟の挿話は、ようやくまとめることができて、本作に生かされている。
 その十日間近くの合宿の間、通訳・翻訳家としてつきあってくださったのが、青年団の俳優でもあった志磨真実さんである。この時の交流が『CVR チャーリー・ビクター・ロミオ』での共同作業に繋がった。彼女が昨年急逝されたことは、私たちにとって大きな衝撃であった。
 一昨年にはこの共同創作作業の中心の一人であったシンガポールの劇作家クオ・パオ・クン氏も亡くなられている。国内外で何度かお会いした同氏は五年前、我々の稽古場・梅ヶ丘BOXまで足を運んでくださったことがある。氏の戯曲『スピリッツ・プレイ』燐光群版上演の打ち合わせのためだったが、そちらはまだ実現していない。
 その後世界の情勢は、臆面もなく音を立て、いっそう大きく歪みはじめた。アメリカの理不尽な「開戦」による新たな緊張は、日本という国の脆さを容赦なく砕いて、「第二の地雷」と呼ぶべきクラスター爆弾子弾の不発弾が散らばるイラクへ、日本の自衛隊が「派遣」された。
 私はより強く、この「地雷」という「宿題」を、自分自身の仕事として進めなければならないと考えるようになった。ちょっと足踏みしている共同プロジェクトの実現を待たずに、独自の創作を急ぐのは、「じっとしておられない」という思いがあるからだろう。
 自分のことなのに推測のような言い方をするのは、私にとって創作という行為がつねに、目的意識に即した「予定調和」の結果ではなく、私自身・私たち自身を知るための、自己探索の作業でもあるからだ。
 私たちが作るものはプロパガンダではない。演劇である。だがそもそも、そんな区分けなどどうでもいいことだ。創造行為とは、自分たちが生きている世界と「関わる」ことである。積極的・自覚的な関係性を組織することである。おそらくそのような作業を、ある「共同性の仮説」として展開し実現するために、独立した劇団というものは存在している。
 どこまでできるかわからないが、私たちには演劇を通して知りたいこと、確かめたいことがある。あるいはそうした「検証」のためにこそ、現代の演劇の創造作業は必要とされているのだと考えることもできる。
 ご来場の皆さんに立ち会っていただけることに感謝し、それが私たちの喜びでもあることをお伝えする所以である。
…………………………

 以上は今年二月、初演時の文章である。
 このたび、この芝居が劇団の夏のツアー演目となり、四ヶ月ぶりに、全国七カ所でおめにかけることになった。
 付け加えたいのは、「是非この芝居を旅公演に持っていくべきだ!」「いろんな人に観てほしい」という、多くのお客さんの声があったことである。
 演劇は生きている。あるいは、生かされている。このライブの感覚こそ、混迷の時代に足を踏み出してしまった私たちの手がかりであり、命綱である。


坂手洋二




カモミール社「だるまさんがころんだ」



 

圧倒的反響、続演!