過去の上演作品[2001-2005]
過去の上演作品[2001-2005]
Broken landscape
Species of 20th Century
壊れた風景
作=別役実
演出=川畑秀樹
<東京>3月27日(水)~4月1日(月) 梅ヶ丘BOX
02/03/27
俗にいう「バブル期」と「高度経済成長期」の狭間。
1970年代後半から1980年代前半にかけて。
どこか平穏で、しかし次の時代が見えない頼りなさを感じながら、人々が過ごした時代……。
それは今まで見過ごされていた「20世紀日本の曲がり角」だったのかもしれない。
『にしむくさむらい』以降、小市民の内省を描いた別役実の作品群は、みごとにそれを予見している。
さまよう人間たちの姿を、ある場所の、限られた時刻の出来事に凝縮した『壊れた風景』は、
その空間性と厳しさに於いて際だっている。
CAST
女1……………………江口敦子
その母…………………中山マリ
男1……………………川中健次郎
男2……………………ぺ優宇
男3……………………内海常葉
女2(男3の妻)……宇賀神範子
男4……………………丸岡祥宏
STAFF
照明/竹林功
美術協力/加藤ちか
照明操作/大西孝洋
音響操作/向井孝成
進行助手/古崎篤
衣裳/樋尾麻衣子
受付/桐畑理佳
company staff/猪熊恒和 宮島千栄 小室紀子 工藤清美 千田ひろし
下総源太朗 吉田智久 瀧口修央 高野旺子 久保志乃ぶ
制作/古元道広 国光千世
芸術監督/坂手洋二
協力/高津映画装飾株式会社 龍前正夫舞台照明研究所 ベルント・エルブス
射場重明 大西一郎 寺島友理子 高橋紀江
■当日配布パンフレットより
演劇の可能性……って?
川畑 秀樹
芝居って何だろう、何が出来るのだろう。
昨年の9月11日、ニューヨークにいた私はいきなりこの問題に直面しました。
一瞬のうちに5000人以上の命をのみ込んだ惨劇、その悲しみの前では、演劇は本当に無力でした。
音楽は、すぐに、その日の内に、傷ついた人々の心を癒しはじめ、勇気と希望を与え、痛みを和らげていました。多くの仲間を失った警察官の誇りに満ちた追悼の国歌斉唱、ハーレムの少年合唱団が歌う、透き通るような賛美歌の声。そして何より、公園に集まった人々が、隣の、初めて出会った他人と肩を組み、涙を流しながら歌う"GOD BLESS AMERICA" 彼らの出会いが悲しみだったことは残念ですが、人々の気持ちが一つになることの、圧倒的なエネルギーに打ちのめされたのも事実です。
演劇という表現方法は悲しみの前では無力で、たとえ平常時でも音楽が3分間で作り上げる感動を2時間かけても作り得ないのではないか。この疑念は、私の中でしばらく渦巻いていました。しかし今は。
私は人間の口はこの世で一番すばらしい楽器だと思っています。芝居の演出を志した頃、私はこれを一位としました。人間の感情をそのまま伝える良質な楽器、それを自由に操る役者が作る舞台空間は、まさに、最高のシンフォニーです。そして日本語は本当に素晴らしい、豊かな言語です。今回の別役さんの芝居、改めてそれを実感しました。
この「壊れた風景」には個人の名前がありません。男1,女1という指定です。しかし人間は、初対面であっても、公園で流された涙に見られるように、気持ちが合えばあらゆることを可能にする力を秘めています。演劇も同じです。今回、他人でありながらと、云う点に少しこだわりを持ちました。"最高の"という冠はいつも目指しながら永遠に手に出来ないものだと思ってますが、今出来る、精一杯のシンフォニー、作りました。
川畑秀樹
北海道出身。演劇集団Year'2にて20本以上の公演に参加。解散後は自らのプロデュースで『階段の悪党』『レティスとラベッジ』、ギルドホールプロデュース『夏の木』(第1回)『どうりでガサゴソすると思ったら』(第2回)を演出。栗山民也、鵜山仁、佐藤信、木村光一などの演出助手として多数の作品に参加。燐光群では2000年『パウダー・ケグ』『南洋くじら部隊』、2001年『ララミー・プロジェクト』に坂手洋二の演出助手として参加している。また2000年には燐光群Species of 20th Century『岸田國士三作品上演「葉桜」「驟雨」「ある親子の問答」 』を演出。2002年9月より文化庁在外研修でニューヨークに留学予定。
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<Species of 20th Century>上演史
坂手 洋二
梅ヶ丘BOXを運営するようになって丸十年。昨年秋、それを記念して大家さんが食事会を催してくださった。いろいろなことを思い出した。初めてここに来たとき私は29歳だった。今や40歳。二十代と四十代を跨いでここにいる。うーむ……。
梅ヶ丘BOXでのシリーズ<Species of 20th Century>は、1998年夏、アイルランドの劇作家トマス・キルロイ作品の本邦初演『ロウチ氏の死と復活』に始まり、中山マリら演出による若手公演『すなば/カチカチ山』と続いた。1999年4月、黒澤明監督唯一の書下ろし戯曲『喋る』の50年ぶりになる上演と短編『その後』二本立て・二週間の公演は注目を集め、連日立ち見の盛況となった。翌年も俳優の自主公演の場として『金魚の夢』『オルレアンのうわさ』、そして川畑秀樹演出による『岸田國士三作品』を上演してきた。
『壊れた風景』は、アトリエで別役実作品をやりたいね、という中山マリの声から始まった。
兼ねてから私は、1970年代後半、『にしむくさむらい』以降、小市民の内省を描いた作品群が、別役戯曲の中で重要な位置を占めると考えていた。中でも特に、一つの場所・時間に凝縮された『壊れた風景』の濃密な魅力は、再発見されるべき重要性を持っている。ここでは、モノに囲まれて生きる人間の不条理、現代に生きる者の曖昧な生の感触が、会話の迷宮の果てに厳しく提示されるのだ。
21世紀になってしまった日本社会の人間像、家族関係の形成を振り返って考えてみると、あの時代にひとつのターニングポイントがあったような気がしている。俗に言う「バブル期」と「高度経済成長期」の狭間にあたる、1970年代後半から1980年代前半にかけての、どこか平穏で、しかし次の時代が見えない頼りなさを感じながら、人々が過ごしていた頃。その時代の記憶から、20世紀全体とその果ての「現在」を照射する試みが可能なのではないか……。
別役作品は俳優・演出家にとって、難攻不落の砦だ。戯曲の切り開いたリアルな「異空間」を、じっさいに舞台に立ち上げるには、たいへんな努力を要する。それだけに挑戦し甲斐があるということもできる。
この世界が、戯曲が書かれた時代にまだ生まれていなかった若い俳優もまじえた座組で、時にクールに、時に情熱的に俳優と対峙する川畑秀樹さんの粘り強い采配によって、どのように現出するか。とても楽しみである。