過去の上演作品[1996-2000]

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The Wife of Kandagawa [Remount]

 

グッドフェローズ+七ツ寺共同スタジオ プロデュース

神田川の妻

=坂手洋二

演出=はせひろいち


<名古屋>2000年8月5日(土)~14日(月)七ツ寺共同スタジオ

<東京>2000年8月19日(土)~29日(火)こまばアゴラ劇場

<大阪>2000年9月1日(金)~3日(日)扇町ミュージアムスクエア

00/08/05

世界の見えざる構造を抉り、現実と幻想の狭間を凝視する二劇団、
<燐光群+ジャブジャブサーキット>がおくる、
「東京+岐阜・名古屋」発、かつてない「越境」の演劇!


あくなき幻想へ。
さらなる存在へ。
情念とロジックの交差点へ舞い戻る。


人民なき眠りの都市。
薄く暗い瀬々らぎに誘われ、
あなたは惑いつつ足を踏み出す。
ジャングルを蛇行する川の源流を辿りきることができないように、
歩けば歩くほど、あなたは朝から遠ざかっていく。
いや、本当はあなたは知っている。
自分があの部屋に向かっていることを。
そして新たな不安を見いだすのだ。
自分がなぜ、
今でも彼女が待っていると、確信しているのか……。

CAST

猪熊恒和 下総源太朗 丸岡祥宏 江口敦子 吉田智久 宇賀神範子 柿澤宏子 向井孝成 永田恵子(以上、燐光群)

咲田とばこ 栗木己義 松本真一 一色忍 小関道代 長尾みゆき 中杉真弓 小島好美 江川由紀 岩木淳子 疋田英司 岡浩之(以上、ジャブジャブサーキット) 

宮島千栄(劇座)


STAFF

舞台監督/岡浩之 

舞台美術/JJC工房 

照明/福田晴彦(自由舞台) 

音響/松野弘 

写真/梅原渉 

宣伝意匠/高崎勝也 

宣伝協力/上田郁子 

企画/グッドフェローズ+七ツ寺共同スタジオ 

制作/燐光群+(有)グッドフェローズ・古元道広・咲田とばこ・国光千世・二村利之





当日配布パンフレットより


坂手洋二


 世の中で「物書き」「作家」と称されている者は、机に向かってモノを「書いている」瞬間は「作家」のように見えるかもしれないが、実のところ、そうでないときには、何者であるかわかったものではない。多くの場合は、ただのおとっつぁんだったり、酔っ払いだったり、妄想癖のヒトであったりするだけだ。そういうときも立派に「作家」であるという御仁もおられるかもしれないが、どうも私にはそれを証明する術がないように思われる。まあ、俳優だって舞台に出ていないときは「自称俳優」でしかない。そういうものだ。
 私が六年半ほど前に書いた「戯曲」に、はせひろいちさんが関心を持ってくださり、ここにこのような楽しい企画が実現し、私はたいへん嬉しい。だが、私の「作家」としての時間は、とうに過去形になっている。だもので、今はただ、二つの劇団のメンバーがどのように混じりあい、新たな『神田川の妻』がいかなる相貌をもって出現するか、期待するのみである。
 とはいえ、この六年余の間にも、日本は変わった。六年前の上演でさえ「ずいぶん古い話をやるのだね」という感想を持たれないわけではなかったが、今や「戦後昭和史」は完全に風化してしまっている。
 六年前という「小過去」、そして劇中に描かれる、さらに溯った時代を、今、確実に「新しく」描く。現場に求められているのはその能力であり、自分たちの生きている時代を自分たちのものとする、「当事者性の腕力」のようなものである。ほんらい「演劇」は、そういうことにこそ威力を発揮する装置だと私は考えている。
 ともあれ、『神田川の妻』の再生は、この猛夏を最後の最後まで、ほんとうにあついものにしてくれそうだ。
 『神田川の妻』は、同じ年に青年座に書き下ろした『火の起源』という戯曲と表裏の関係をなしている。関心のある方はそちらも是非読んでいただきたいと思う。


***


はせ ひろいち


「神田川の妻」……実に恐ろしい作品である。僕は作品に正対し、何年ぶりかに背筋がゾクッとし、胃が痛くなった。何度も逃避しかけた。誰かが過去に書いた作品を自分の感性で演出し直す……なんてカッコつけのスタンスを「作品」が許さないのである。当初このプレッシャーは、燐光群メンバーへの遠慮かとも思ったがさにあらず。坂手さんに金を借りてるわけでもなく、何かマズイ情報を握られているわけでもない。ありきたりだが「戯曲の霊力」というしかない。
稽古を重ね、何とかカタチになってきた……と思った途端に、予想もしなかった別の流れが顔を出し、今までのカタチには何の意味もない事に打ちのめされる。「半分ぐらい進んだかな」と思って地図(=台本)を見直したら、そこに書かれていた終着点(=執着点)は実は何かシミのようなもので、目の前には荒野が広がっている……そんな感じだ。
坂手さんとの「距離感」も実に微妙で、普段なら「田舎者」や「小心者」を装って、気楽に聞きまくるのだが、これまた調子が狂っていた。海外在住やら没後ウン十年の劇作家に比べれば、実に近くに作者が鎮座しているのに、なかなかSOSが出せない。初演時の具体案とか、あの場面の作家の真意とか、尋ねれば一気に楽になると判っているのに、どうにもその一言が聞けない。「思いっきりやってよ」と言っていた坂手さんの言葉を思い出すほどに、逆に戯曲に縛られるのだ。
そもそもこの「ごあいさつ」の文章自体が僕らしくない。二村さんも坂手さんもきっと固いだろうから、僕ぐらいは軽くおちゃらけて……と思っていたのに。
この作品は20世紀最高の怪談であり燐光群はさしずめ最強のイタコ集団である。彼らと過ごしたバトルの日々が、「贅沢しない分、知恵を絞って」見事に団結した奇跡の日々が、今後我々の励みや慰めになる事を祈りつつ……本日はご来場ありがとうございました。どうぞごゆっくりお楽しみ下さいませ。


***


七ツ寺共同スタジオ 代表 二村利之


 「燐光群が旅に出るのは劇団の若い人達に七ツ寺を見せたいからだ。」何故旅に出るかという話になると坂手洋二は七ツ寺への思いを熱い口調で吐露する。90年代に入ってから小劇場演劇の世界の大衆化とメジャー化もあって、七ツ寺へ東京から来演する劇団がめっきり減ってきたなかで、燐光群は創立間もない'86年の初の旅公演で七ツ寺に初登場以来、ほぼ毎年、問題作をひっさげ来名、私たちに衝撃を与え続けてきた。七ツ寺共同スタジオの“共同”は連帯する共同行動や共同幻想に拠っているのだが今やそういった状況は演劇の世界だけでなく、社会全般にも希薄だ。けれども、坂手洋二と燐光群はこれまで七ツ寺が果たした役割りを評価し、今後の変革への可能性に組みするものとして、主体的な関わりと連帯を継続してくれている。私自身も彼らに対して批評的に関わってきた。このように劇場と劇団がそのおたがいのありようをめぐって深く親密に関わりあえたことは私の喜びとするところである。その関わりをより深い緊密なものにしようという志向が今回の共同プロデュースとなって実ったものである。これに、近年3都市公演を意欲的に推進し、燐光群との交流を深めているはせひろいちとジャブジャブサーキットとの合同と連帯があって成立したものであることは言うまでもない。私流に言えば新しい演劇の地平を目指す者が力を合わせる3者共同行動ということである。
 時代を支配するものにけっしてまつろわぬ者たちの精神の系譜、マイノリティの存在が状況を鋭どく撃っていく力。坂手洋二と燐光群は一貫してそういったテーマを追求してきた。その劇世界のなかには息苦しいほどのエロス性が潜んでいる。エロス性こそが政治や闘争をめぐる状況を変えていけるものではないかと。今公演の『神田川の妻』にもそれは通底している。はせひろいちは役者の力をうまくひきだすしなやかな演出力をもっている人である。坂手作品とそれに取り組む両劇団の出会いの力を通して独自の世界を見せてくれることと思う。七ツ寺の空間から始まるこの公演をどうぞお楽しみ下さい。