過去の上演作品[1996-2000]

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The Emperor and The Kiss

 

天皇と接吻

作・演出=坂手洋二

<東京>1999年11月13日(土)~29日(月) 下北沢ザ・スズナリ

<大阪>1999年12月3日(金)~5日(日) 扇町ミュージアムスクエア

<名古屋>1999年12月8日(水)~12日(日) 七ツ寺共同スタジオ

 

99/11/13

時代は、誰のものか。

歴史は、過去形でいいのか。



第二次世界大戦後、GHQ支配下の日本映画で 

なぜ天皇に関する描写は禁じられ 

キス・シーンの設定は推奨されたのか。 

そして半世紀後の日本にそうした「戦後の精神形成」はどのように影響しているのか。


日本映画ペンクラブ賞・川喜多賞を受賞した平野共余子の衝撃的論考「天皇と接吻」(草思社・スミソニアン研究出版刊)に着想を得て、坂手洋二が1999年の日本に叩きつける、渾身の問題作。

CAST

手塚とおる=ウエノ(新日本映画社社員/映画部部長)

大西孝洋=ヨシヤ(新日本映画社社員/映画部員)

下総源太朗=カンダ(カメラマン助手/放送部員・映画部員)

小林さやか=ヒサコ(大部屋女優/生徒会役員・映画部員)

Aya Ogawa=ユキコ(二世の軍属・通訳/帰国子女)

Kameron Steele=コンノ(二世の軍属/NOVAの講師)

Josh Fox=コンデ(CIE検閲官)/ジョン(ミネアポリスの友人)

川中健次郎=イワサキ(プロデューサー/校長)

千田ひろし=ミキ(カメラマン)/タカマツ(太平洋映画社社員・生徒会役員)

樋尾麻衣子=エミコ(失明した女優/合唱部員)

猪熊恒和=ヒラオカ(GHQ連絡日本役人/映画部顧問教師)/カメイ(映画監督)

丸岡祥宏=サワダ(GHQ連絡日本役人)/コデラ(日本史研究会会員)

宇賀神範子=アキ(新日本映画社パート業務員/ウエノの妹)

吉田智久=オノ(若者/日本史研究会会員)

向井孝成=サトウ(若者/日本史研究会会員)

高野旺子=オンダ(合唱部部長・映画部員)

江口敦子=ヒビノ(合唱部員・映画部員)/隣の人 

内海常葉=ゴトウ(映画部員)

藤井峰生=クボ(映画部員)

桐畑りか・柿澤宏子・永田恵子=隣の人


STAFF

美術/加藤ちか 

照明/竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)

音響・島猛(ステージオフィス) 

舞台監督/野口毅 

演出助手・深井一雄・阿部真里子 

美術助手/倉橋里衣 

舞台監督助手/川田涼一 

文芸助手/中山マリ・久保志乃ぶ 

宣伝意匠/プリグラフィックス 

宣伝写真・舞台写真/大原拓 

衣裳サポート/黒田明美 

パンフレット/高崎勝也 上田郁子 

制作/古元道広・長嶋美少子 

助成/日本芸術文化振興会・舞台芸術振興事業 大阪市助成公演


ポストパフォーマンストーク
11月21日(日)14時の部終演後●出演者と坂手洋二による、ニューヨークの演劇事情と

海外交流についてのセッション

11月23日(火)14時の部終演後●平野共余子(「天皇と接吻」著者)+坂手洋



当日配布パンフレットより 坂手洋二

 『神々の国の首都』アメリカ・ツアーの打ち合わせの時だったと思うから、昨年の八月だろうか。ニューヨーク・ジャパン・ソサエティのオフィスを訪門したさい、平野共余子さんを紹介して頂き、出版されたばかりの著書『天皇と接吻』を戴いたのである。「これを芝居にしてみたらどうかしら」という、「示唆」あるいは「預言」の言葉と共に……。
 まず、『天皇と接吻』というタイトルがよかった。「いったいどういうつもりなのか」と思わせる、挑戦的なタイトルである。
 もちろん「天皇」に「接吻」をするという内容などではなかった。(最近、公演情報のタイトルだけを見てそういう誤解をした知人がいて、「天皇に接吻したくない」という困惑のメールを貰ってしまい、それこそこちらが困惑してしまったのだが……)
 「天皇」と「接吻」が、敗戦直後の日本映画に対するGHQの検閲の大きなポイントであったという指摘が、この書の要である。
 「天皇」、そして日本の旧体制についての批判をすることが、「民主化」に結びつくとして、敗戦直後ほんの一時は奨励されながら、なぜその後、それを推進した占領軍自身の手によって規制されていったのか。
 「接吻」を表現することを許し、キスシーンを推奨することは、民主的な「自由」の浸透に結びついたのかもしれない。だがそうした「解放政策」は、日本国民による自発的なものではなかった。戦後日本では、「自由」とは「甘受」するものであるとして受けとられ、その後五十五年間を経ても、ついに自ら「獲得」するものとしては認識されえなかったのではないか。
 そうした主旨に加え、私が創作上の着想を得たのは、『天皇と接吻』の次のような観点である。
 現在に繋がる日本の「戦後システム」は、五年間の連合軍の占領期間に様々な段階を経て選択されていったのではなく、その最初の、たった一年程の間に早急に決定されてしまったのではないか。
 否、それ以前に、戦争が終結に向かう流れの裏で、まず「天皇」「国体」の存在を残し、他を「民主化」「刷新」したことにして、日本の「旧体制」の一部を維持するという、「敗戦後の構図」が、予定調和的に仕組まれていたのではないか。少なくともそうするという予断を持って、勝者も敗者も「終戦」を迎えていたのではないか。
 かくのごとき「条件付き降伏」の「出来レース」があることも知らず、その、敗戦から僅か一年程の間に、矛盾と混乱に晒されたこの国に「新しい世界」が開かれることを求め、心血を注ぎ、踊るだけ踊らされ、挫折していった人たちが存在していた。
 『天皇と接吻』は「事実」と「資料」を根拠にした「評論」である。私はそれに着想を得て、このような観点からその後の五十五年を決定し未だに「現在形」である「ドラマ」を幻視し、あるいは本書では僅か数行しか触れられていない「歴史」の陰に消えていった人物の姿を私自身の想像をもとに抽出し、芝居にしてみたいと思った。
 日米の強力なゲスト出演者に支えられ、劇団員も決意を新たにこの作業に挑み、過去を振り返りながらも、私たち自身がまさに今必要としている舞台を創作するという手応えが、結実しつつある。
 様々な出会いを支えてくださった方々に、心から御礼申し上げる。




カモミール社「天皇と接吻」