過去の上演作品[2006-2010]

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Southern Islands

 

サザン・アイランズ

虎の杖 作・演出竹内一郎     

コレヒドール 作・演出山元清多     

雪を知らない 坂手洋二 演出山元清多


<東京>2008年8月30日(土)〜9月9日(火) シアターイワト

08/08/30

CAST


虎の杖 Baston ng Tigre タガログ語翻訳珍田真弓

照屋 ・・・・・・ 伊勢谷能宣
紀子 ・・・・・・ 樋尾麻衣子
ラモン ・・・・ パオロ・オハラ Paolo P. O' Hara
ジェリー ・・・・ ボン・カブレラ Bong Cabrera
エイミー ・・・・ マイレス・カナピ Mailes Kanapi
メリサ ・・・・ レイ・バッキリン Raye Baquirin


雪を知らない Never seen the snow 英語翻訳須藤鈴

リンダ ・・・・・・・・・ レイ・バッキリン Raye Baquirin
マーサ ・・・・・・・・ マイレス・カナピ Mailes Kanapi
下里 ・・・・・・・ 猪熊恒和
ジョージア ・・・ 中山マリ
ヒロコ ・・・・・・・・ 安仁屋美峰


コレヒドール Corregidor 英語翻訳須藤鈴

彦坂 /マイク保坂 ・・・・・・ 鴨川てんし
京子 /ママ ・・・・ 中山マリ
クリス /マカピリ ・・・・・・ ボン・カブレラ Bong Cabrera
佳代 /ホステス ・・・・・・・ 阿諏訪麻子/安仁屋美峰
木村 ・・・・・・ 嚴樫佑介
阿部 ・・・・・・・・・ 鈴木陽介
中里 ・・・・ 猪熊恒和
伊藤 /ホステス ・・・・・ 樋尾麻衣子
伊藤 /ダンサー ・・・・・・・・・ 桐畑理佳
イメルダ ・・・・・・・・・ 秋葉ヨリエ
スギモト ・・・・・・・ 杉山英之
ケソン大統領 /マカピリ ・・・・・・ パオロ・オハラ Paolo P. O' Hara
マッカーサー /ウェインライト ・・・・・・ 川中健次郎
日本軍人 ・・・・・・ 川中健次郎
本間中将 /日本兵 ・・・・・・ 高橋淳一
捜索隊員 /日本兵 ・・・・・・ 小金井篤
捜索隊員 /米兵 ・・・・・・・・ 西川大輔
テレサ/ホステス ・・・ レイ・バッキリン Raye Baquirin
ケイコ/本間富士子・・ 成瀬美子
ロッサ/ホステス ・・・・・ マイレス・カナピ Mailes Kanapi
米兵・・・・・・ 吉成淳一/伊勢谷能宣
日本兵・・・・ 武山尚史


STAFF
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス
音響操作○内海常葉
衣裳○山下順子+燐光群衣裳部
美術○じょん万次郎 
舞台監督○森下紀彦
演出助手○清水弥生・武山尚史
字幕製作・操作○武山尚史
文芸助手○久保志乃ぶ・澤田今日子
イラスト○内田春菊
宣伝意匠○高橋勝也
制作○古元道広・近藤順子
協力○佐野晶子  黒テント 森下スタジオ
高津映画装飾株式会社 オサフネ製作所 小池陽子 坂内理香 坂田恵  高子香 戸塚治虫  細野舞 南朝香 八代名菜子  吉本知世
Company Staff: 大西孝洋 江口敦子 宮島千栄 向井孝成
Special Thanks to: Ed Vassallo

主催・企画製作燐光群/(有)グッドフェローズ

南の島々を繋ぐ、戦争と基地の物語。

『ロミオとジュリエット』(黒テント・PETA合作)などで

フィリピンと日本を結ぶ仕事をしてきた山元清多。

『白髪の房』(ルネ・ヴィラヌエヴァ作)演出、独自に

フィリピンとの交流を続けてきた竹内一郎。

「沖縄三部作」以来、久しぶりに沖縄についての新作を

発表する、坂手洋二。

「燐光群+フィリピン国際交流プログラム」を継続してきた

燐光群がおくる、すべて書き下ろし新作による、

待望の フィリピン・日本合作。

当日配布パンフレットより


『嘉手納/スービック』から『雪を知らない』へ
坂手洋二(『雪を知らない』作 芸術監督)


 当初は『嘉手納/スービック』というタイトルで、二つの島の米軍基地撤去の過程について、実現したのとしなかったのと両方のケースを、対比して描 いてゆくつもりだった。基地前のクラブで踊るフィリピーナを登場させることは、最初から決めていた。
 基地問題の方は、企画意図をダイレクトに受け止めて下さった竹内一郎さんが、『虎の杖』という豊かなドラマを書き下ろしてくださった。私は肩の荷が下り た気分で、フィリピーナに集中することにした。
レイにダンサーをやってもらいたかった。やがてこれは姉妹の物語であり、マイレスとの素晴らしいコンビが必要だと気づいた。
 1996年、私は『海の沸点』の取材で、同作に実名で登場する反戦地主のリーダー・知花昌一さん経営の「はんざスーパー」裏にあったプレハブ小屋に長期 逗留していた。
 ある日、知花さんに「坂手さん、今夜は米軍情報収集に行きましょうね」と誘われ、金武町「新開地」の、もとAサインの店に繰り出した。
 米軍のリアルな現状を知りたければ、こうした場所に情報を聞き出しに行けばいい。アメリカが国際紛争に絡んでくるとき、発表以前の動きがわかる。重要な 作戦計画について、米兵自身が口を滑らせる。とくに言葉が通じるフィリピーナ達には気を許してしまうのだ。
 何かことが起きる前、この街は静かになる。最近ではイラク派兵の直前も同様だったと聞く。しかし、1996年当時、街が静かだったのは、別な理由から だ。それが何かは、劇をご覧いただければわかる。
 山元清多さんに初めてお目に掛かったのは、二十年前、TBSの地下の食堂でカレーをご馳走してもらったときであるが、次に話をしたのはマニラだった。 CCPでPETAと黒テントの合作『ロミオとジュリエット』を観たときである。あれから十年、ようやく元さんと仕事ができるというのは嬉しい。
 それぞれ特色ある三本が揃いました。
 どうぞ最後までゆっくりとお楽しみ下さい。


***


コレヒドールへの道
山元清多(『コレヒドール』作・演出 『雪を知らない』演出)


 僕が、初めてコレヒドール島へ行ったのは、1996年か97年だったと思う。
 フィリピンの劇団PETA(フィリピン教育演劇協会)との間で、もう20年近くつき合って来たのだからそろそろ共同で芝居づくりをしようではないかと提 案し、その相談でマニラへ行ったときだった。
 それまで、PETAとワークショップを交換したり、お互いの作品を上演し合ったり、ただ遊びに行ったりで、何度もマニラへは行っていたのに、僕自身フィ リピンの戦跡というものに一度も行ったことがなかった。そのときは、それまで一度もフィリピンへ行ったことのなかった役者の斉藤晴彦が同行することにな り、それならコレヒドールヘ行くのがいいのではないかということになったのだと思う。日本とフィリピンの関係を踏まえた共同作品をつくるのなら、やはり日 米戦争の戦跡ぐらい見ておいても無駄にはならないのではないか、くらいの気持ちだった。それで、PETAのメンバーが四人同行した。その中に、燐光群の日 比共同作品でお馴染みのロディ・ヴェラもいた。驚いたことに、彼らもコレヒドール島へ行くのは、初めてなのだと言った。
 朝早く、マニラ湾に沿って椰子の木が並ぶロハス通り、フィリピン・カルチュア・センター(CCP)のすぐ脇の船着場から冷房のきいた漁船ぐらいのフェ リーに乗って、マニラ湾の赤潮をかき分けながら約2時間。フィリピンの他の物価と比較して、フェリー代が高いなと思ったのを覚えている。
 僕たち全員が、かつて新聞や本の写真で見たことがある<あの戦跡>、ジャングルの中に破壊された戦車や赤く錆びた大砲がそのまま放置されている情景を思 い描いていた。ところが、島に着いて上陸した僕たちが見たのは……。
 そして、僕は今度初めて自分の経験に取材した芝居の台本を書くことになったのです。もちろん、これは事実とはまるでちがう、フィクションです。


[山元清多]演出家・劇作家・シナリオライター。黒テント創立メンバー。同劇団の劇作・演出を中心に ラジオ、テレビなどのシナリオを多数手掛ける。1983年「比置野(ピノッキオ)ジャンバラヤ」で第27回岸田國士戯曲賞。'97・'98年黒テント・ PETA共同作品『喜劇・ロミオとジュリエット』台本・演出。結城座、オペラシアターこんにゃく座、流山児★事務所の脚本・演出の他、ドラマ『カミさんの 悪口』、映画『佐賀のがばいばあちゃん』など脚本多数。最近作は黒テント『ど』(構成・演出)、『上海ブギウギ1945』(脚本・演出)。


***


セイチョーしたのだ
竹内一郎(『虎の杖』作・演出)


毎年2月には、平石耕一兄と津上忠先生の誕生日を祝う。平石兄は『センポ・スギハアラ』『ブラボー・ファーブル先生』などの秀作戯曲を書いている。 忠先生は、『五重の塔』や『出雲の御国』など、今でも前進座の屋台骨を支える戯曲を残している。
で、今年の誕生会で忠先生が私にこういった。「漫画といい、新書といい、お前が売れるものを書けるのはもうわかったから、そろそろチャンとしたものを書か ないか?」
私にそこまでいいにくいことを、ズバッという人は少ない。はっきり言って、そこを突かれるのが一番キツい。友人もそこだけは触れないように気を遣ってくれ ている。“お約束”ではないか——!
私も負けてはいられない。少しムキになった。
「ではチャンとしたものとはどういうものですか?」
 私の問いに忠先生は、少し間をおいてこういった。
「……セイチョーさんみたいな感じだな」
 セイチョーさんというのは、松本清張のことだった。社会性のあるテーマを独自の歴史意識に貫かれた書き方であらわせ、ということであろう。無理にもほど がある。そんな才能があれば、苦労はない。……とはいっても、セイチョーの後には「みたいな」に加えて「感じ」と、二つも曖昧語が付いているから、かなり 差っぴいてもいいか。
仕方がない——。私は大岡昇平著『レイテ戦記』全3巻を読み、4月にフィリピンに行き、スービック基地周辺を取材し、そして相当禁欲的な日々を自らに課し て、『虎の杖』を書いた。胸を打つ芝居ができたと確信している。
この芝居の稽古の間に、赤塚不二夫さんが亡くなられた。たまたま、山元清多さんと「これでいいのだ」という世界観はすごい、という話になった。いまさらい わずもがなだが、赤塚不二夫は天才だ、と。
今回は自分なりにセイチョーしたつもりでいる。「なんだ、この程度か」というご批判もあろうが、今は“これでいいのだ”。


[竹内一郎]劇作家・演出家。1991年文化庁芸術家在外研修員としてフィリピンに留学。著書に『人 は見た目が9割』(新潮新書)。訳書に『フィリピンの民話』(青土社)。『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)でサントリー学芸賞(芸術・文学 部門)。筆名(さいふうめい)で発表した『戯曲・星に願いを』で文化庁・舞台芸術創作奨励賞佳作、『哲也 雀聖と呼ばれた男』で講談社漫画賞を受賞。 2007年燐光群+フィリピン国際交流プログラムにて『白髪の房』(作/ルネ・O・ヴィラヌエヴァ)を演出。